第2571回(1月17日)
会場:立川グランドホテル
本日の司会:清 水 S A A 委 員 長
会長の時間:照木会長
津野田元会員におかれましては、24年間の長きに亘り共に奉仕活動を行ってきました。ありがとうございました。今後共に宜しくお願い致します。今日は萩原会員、谷田会員のイニシエーションスピーチです。楽しみにしております。
今年は会長として新年会に5回参加しました。29日には国分寺消防少年団発団40周年記念式典が開催され、感謝状を頂きました。10日には国分寺JCの新年会で井口幹事と共に臨席いたしました。祝辞を依頼されたため、RCの長年に亘るSDG’s活動(ポリオ撲滅)についてお話致しました。
新聞には毎日の様にESG投資の記事が掲載されています。企業は環境、社会貢献、企業統治により評価される時代になりました。先週、マイクロソフト社は2030年までにカーボンネガティブを実現することを発表しました。会社及び構内は全て再生可能エネルギーと電気自動車に切り替える方針です。今までIKEYAがカーボンニュートラルを目標としていましたが、カーボンネガティブは世界初で画期的です。
SDG’sの前身はMDG’sで、貧困と飢餓、教育、ジェンダー、エイズ、環境等のゴールを目指していましたが、地域の隔たり・見落とし等が指摘され、2015年に国連サミットでSDG’sが採択されました。日本では安部首相が推進本部長になりオールジャパン(官民一体、地方自治体、諸団体)で推進していますが、実現はまだまだです。問題は複雑で容易ではないからです。SDG’sへの人々の関心は低く、認知度は27%です。今後は①関心を持ってもらう②複雑さ、難しさを理解してもらう③企業、個人は何が出来るか考える④共働していくという形で進めていきます。一歩ずつ出来ることから進めることが大切です。当クラブの今年度テーマ『一燈照隅』と同様です。
RCが誇れるSDG’s活動は30年前から始めたポリオ撲滅活動です。今まで1千億円かけ20億人の世界中の子供達にワクチンを投与してきました。撲滅活動の結果は99.9%の達成率になりました。昨年、アフガニスタンでは28人、パキスタンでは128人発症しました。残り0.1%を0にするためには更に3千憶円必要で大きな課題です。RCが撲滅活動を中止すれば、10年後に20万人の子供が発症することが危惧されています。
お客様ご挨拶
津野田 範昌 元会員
会長幹事、会員の方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。
平成4年の11月に入会させて頂いてから27年。非常に色々な体験をさせて頂きましたので、思い出の一端をご紹介したいと思います。色々と思い出がありますが、一番残っているのは会長をさせて頂いた時の事です。
まず、当時は国際RC100周年で、ロサンゼルスで開かれる記念大会へ当クラブも参加することが決定し、当時の幹事の関口会員と共に準備を行い、現地に向かったことです。この旅行には7名の会員で向かいましたが、皆さん喜ばれていたことと思います。
次に、20年程行われていた障害者ボウリング大会が、会場の都合で最後の大会となりましたので、お別れの大会ということで様々な企画を盛大に行いました。この事を当時のNHKに、特別な番組を組み、活動の紹介、中継をして頂いたことが非常に印象的でした。
また、例会を行う会場も移転せざるを得なくなり、谷田会員にお骨折り頂きまして、国分寺駅ビルの8階に移転を行いました。大移転でしたが、会員の皆様のご尽力のお陰で無事終えることが出来ました。
良いこと、悪いこと、様々な思い出がございますが、この報告にて、退会のごあいさつの代わりとさせて頂きます。皆さま、永年ご協力頂きまして本当にありがとうございました。
表彰式
プレゼンター:ロータリー財団委員会 近藤委員長
・ベネファクター:照木会長
・ポールハリスフェロー:小椋会員、馬場会員、神尾会員、林会員
幹事報告:井口幹事
*2019年手続要覧を、お配りいたします。2月4日クラブ協議会におきまして定款の変更に伴い、細則の変更も協議致しますので宜しくお願い致します。資料に関しては事前にメールにて配信致します。印刷等困難な方は事務局に、ご一報ください。
*国分寺市医師会市民健康講演・城南RC創立
35周年事業・2019-2020地区大会・国分寺駅北口交通広場クラウドファンディングが始まります。
委員会報告
出席報告:井澤会員
会員数: 34名 免除: 4名 メーキャップ済: 2名 欠席: 1名
出席率: 96.67%
≪前々回の訂正≫
メーキャップ済: 3名 欠席: 0名
出席率: 90.32% → 100%
ニコニコボックス:田中会員
津野田元会員:本日は、永年お世話になりました、本クラブの退会のごあいさつに参りました。この機会をお与え下さいました皆様に感謝し、ニコニコします。照木会長・井口幹事:萩原会員、谷田会員のイニシエーションスピーチ楽しみです。宜しくお願いいたします。2024年完成予定、大震災でも倒れない5階建国分寺市庁建設のNHK報道にニコニコします。藤岡会員:ひさしぶりの多摩信での例会にニコニコします。
ニコニコ大賞:中村会員
記念ニコニコ
(写真左より) 照木会長、岡田会員、井澤会員、小椋会員、林会員、小川会員、宍戸会員、田中会員、神尾会員
イニシエーションスピーチ
萩原 昌幸 会員
私は、1974年3月7日に国分寺に生まれ、父は造園業、母はフランス料理店を営んでいました。
高校2年生の時に、若月さんや亀田さんをは
じめKRCの皆様にお世話になり、交換留学生としてカナダのオンタリオ州にあるスー・セント・マリーと言う町に派遣して頂きました。出発の際「文化交流の親善大使としての留学なのでホストファミリーは3軒程度は経験しないと駄目だよ」と言われ3軒の家族にお世話になりました。今でも連絡を取りあっています。
日本に帰国して高校3年生を終業し、今度はアメリカのウエストヴァージニア州にある大学に入学しました。専攻は経済学部のホテルレストランマネージメント学科でした。私は次男なので兄が造園業を継いで、私が飲食店を引き継ぐ流れがなんとなく出来ていました。そのため何の疑いも無くそのまま飲食業界に就職をし、そこで飲食店のイロハを学びました。その後独立する事となり、その際には岡田会員に、開業後の集客には中村会員に、と昔から皆様にお世話になっている次第です。2011年の震災をきっかけに飲食業から清掃業へ転換しましたが、清掃業もサービス業と思い頑張っている次第です。この際にもたくさんの方にお世話になり、感謝しかありません。
今では、自分自身が会員となり、仕事面でも多くの方にお世話になっています。早く恩返しを出来る様に成長したいと思っています。スピーチを行う前に幹事と言う大役を打診される等予期していない事ばかりですが、これも皆様に可愛がって頂き、期待をして頂いていると理解して邁進して参りたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。
谷田 徹成 会員
本日は、本にまつわる話を中心にお話したいと思います。小さい頃に読んだ本で覚えているのは、恐竜の本です。その本には「よく見るよく考えるそうすればどんな不思議も不思議でなくなる」という言葉がありました。これは、私にそれなりの影響を与えたように思います。しかし、55歳になっても、分からないことだらけだなぁ、というのが実感です。
小学校は国分寺市立第一小学校で、当時同じクラスには、尾作会員がいました。その頃は、家にあったシートン動物記等の本や、学校や、本多図書館から借りた本をあれこれ読んでいました。宿題の読書感想文には夏目漱石の「坊ちゃん」を書いた覚えがあります。
中学は国分寺市立第二中学校でした。その頃には、徐々に自分で買う本が増えていきました。当時、矢野ビルに三成堂という大きな書店があり、友達と毎日のように寄っていた時機がありました。一部の書棚については、書店員さんより詳しかったと思います。数あった読書感想文の宿題で、記憶に残っているのはヘミングウェイの「老人と海」でしょうか。「人間は負けるようには作られていないんだ。そりゃ、人間は殺されるかもしれない。けれど、けっして負けはしないのだぞ」という有名なセリフの不屈の精神に引かれたことを覚えています。あれから約40年、やせ我慢すらもなかなか難しくなってきている今日この頃です。
高校は都立府中高校です。卒業生には、歌手の布施明さんや、元祖テキトー男の高田純次さん、高橋会員がいます。高校時代は一番本を読んだ時期でした。途中入部した文芸部では、作品を書いて持ち寄ったり、同人誌を作ったりしていました。また、読書会なんてこともやりました。私が読書会の課題図書を選定するとき選んだのは、シュトルムの「みずうみ」でした。筒井康隆とか、難解なSFとか、そんな作品も好きだったのですが、「みずうみ」のような、ピュアな作品も好きでした。
大学は東京農工大学で、就職先は東芝系の会社でした。山形の豪雪地帯へと配属され、3年過ごしました。その後は愛知県の刈谷市にある耐火物を作る工場の技術部へ転勤となりました。
その2年目、満開の桜の季節の頃、ふと上司が「何で桜って、あんなにキレイなんだろうなぁ」と言いました。その言葉に反応した私は「何てったって、屍体が埋まっていますからね」と、横から言いました。「なんじゃそれぇ。はははは」と上司は薄く笑いました。残念ながら、その上司に私のジョークは通じませんでした。梶井基次郎の「櫻の樹の下には」の有名な「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」から引用したのですが、分かってもらえず、すべってしまいました。もし私が訳の分からん台詞をドヤ顔で決めたのなら、何か元ネタがあって引用しているのだろう、と思ってください。纏まりの無い話しでしたが、どうもありがとうございました。