第2723回(1月21日)
場所:多摩信用金庫国分寺支店3階
司会:伊東SAA委員
会長の時間:井口会長
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・2025年巳年
みなさん新年会や賀詞交歓会でお忙しいと存じます。昨日、昭島のフォレストイン昭和館に行きました。今月で閉館になるそうですが、感慨深いものがございました。そしてアメリカのトランプ大統領が就任。どんな年になるのかとても楽しみです。巳年ですから古い殻を脱皮して更なる進化を目指してまいります。どうぞ、今年も宜しくお願い致します。
・榎元崇会員への想い
入会おめでとうございます。入会式が遅くなってしまったことにお詫び申し上げます。ご活躍を期待しています。
・イニシエーションスピーチ
大田和志会員、小平憲彦会員、楽しみにしています。私のイニシエーションスピーチの思い出は、30分を2人で担当。私の時間が長くなり準備をしていましたが、だらだらと、お話をした記憶がございます。お二人のスピーチをとても楽しみにしております。宜しくお願い致します。
入会式
司会:宍戸会員増強委員長
紹介者:萩原会長エレクト
入会のあいさつ:榎元 崇 会員
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以前グアムのロータリークラブにも参加させていただき、いろいろな経験をさせていただきました。まだロータリーが何をしているのか、何をしていけばいいかが詳しくわからないので、これから参加して経験させていただき、貢献していければと思います。
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幹事報告:清水幹事
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【新会員の配属委員会】
・榎元崇会員(親睦活動出席委員会)
【募金等について】
・令和6年9月能登半島豪雨災害支援金32,000円を当地区を通じて第2610地区へ送金し、御礼が届いています。
・令和6年度歳末たすけあい募金41,217円を国分寺市社会福祉協議会へ寄付しました。
・グアムロータリークラブを通じたハーベストハウスへの寄付について別途会員へご案内をお流しします。
【今後の例会予定】
・2025年2月18日(火) 夜間例会は新会員歓迎例会として鶏眞にて開催予定
・2025年5月24日(土) 佐渡南ロータリークラブ創立50周年記念式典へ親睦旅行として参加予定
いずれも別途ご案内をお流しします。
委員会報告
出席報告:山下委員
会員数:43名 免除:2名 メーキャップ済:2名 欠席:5名 出席率:87.80%
ニコニコボックス:山下委員
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井口会長・清水幹事:榎元崇様ご入会おめでとうございます。大田会員、小平会員のイニシエーションスピーチを楽しみにしております。萩原会員:本日は私の紹介で榎元さんが入会しました。若くて異色の彼ですが、必ず即戦力になると思いますので仲良くしてあげてください。ノークレームノーリターンでお願いします。山下会員:榎元さん、ご入会おめでとうございます。数少ない私の飲み友達なのでとてもうれしいです。みなさま仲良くしてあげてください。
ニコニコ大賞:土井会員
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障害のある方の支援を25年くらいしておりますが、正直のところ美術には関心がありませんでした。しかし、ニコニコアート展を通じて実際に作品を手に取り、「欲しい」と思うような、本当に素晴らしい作品があると感じました。
ロータリーの活動により改めて障害福祉のこと、美術のことを感じられて嬉しく思っております。ありがとうございました。
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記念ニコニコ:(写真左より)山下会員、伊東会員、小川会員、宍戸会員、榎元会員、大田会員
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イニシエーションスピーチ
大田 和志 会員
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私が勤務する総合学院テクノスカレッジは、名古屋にあります名城大学の創立者である田中壽一が、今から66年前、1959年に創立した専門学校です。田中壽一は物理学者で、大正8年には東北大学助教授を、大正11年には文部省の在外研究員としてドイツに留学し、帰国後、静岡大学の教授となり、その後名城大学を創立します。田中壽一が提唱した理念『建学の精神』の中に「究極として国際社会の文化と福祉に貢献することを目的として学問をするものである」という一説があります。私は、田中壽一先生にはお会いしたことはありませんが、この言葉に非常に強く共感しております。それはなぜでしょうか?
私がお世話になったのは、田中壽一の息子である田中健児です。私がテクノスカレッジに入職したのは2006年であり、当時、田中健児はテクノスカレッジの会長でした。田中健児は6年前他界しましたが、彼の功績は、1986年から約10年間でオックスフォード大学を始めとする海外10大学と直接提携を結んだことと、リベラルアーツの理念、つまり様々な分野を横断的に学び教養を身に着けることを元に、それまで各々の専門分野毎に都心に11棟ビルを保有し運営していた学校を、1991年に現小金井キャンパスに統合させたことです。その田中健児会長に、ある時私はこう質問しました。「なぜ、そうまでして海外10大学と直接提携を結ぶのか?私には健児会長のその行動に尋常じゃないものを感じる。」それに対して健児会長は「大田君、世界平和を実現する唯一の方法をしっているかね?それは、なるべく沢山の価値観を同時に抱えること、それを教育で実現すること、それを僕はテクノスでやりたいんだ」と、答えました。それを聴いた瞬間、私は強烈に共感しました。
昨年、8月6日の納涼例会の席で私の生い立ちについて少しお話させていただきましたが、私の父親、大田政廣は沖縄県糸満市出身で、1945年の1月、既に島民たちはこれから地上戦が始まることを知る状況下で、母親のお腹の中にいた彼は、疎開先の広島県福山市で生まれました。終戦後の沖縄で、琉球王国、日本、アメリカ様々な文化や価値観の中で育ち、多くの物的、人的な支援を受けながら政廣は学び、成人しました。その政廣から私が学んだことが、先に述べた田中壽一先生のつくった理念「究極として国際社会の文化と福祉に貢献することを目的として学問をするものである」と田中健児会長の言葉「世界平和を実現する唯一の方法をしっているかね?それは、なるべく沢山の価値観を同時に抱えること、それを教育で実現すること、それを僕はテクノスでやりたいんだ」と同様のことなのです。
気が付けば・・・私が東京国分寺ロータリークラブに入会させていただき、早8ヵ月・・・その間、毎週の例会をはじめ、東京国分寺RCカップ少年少女サッカー大会やニコニコアート展などの活動、そして諸先輩方々との呑みの席など・・・皆様と活動を共にさせていただく中で、ロータリアンの皆様から「私心を捨て地域や社会の為に貢献する“奉仕の精神”」と「公平、公正で相手を尊重しようとする“フェアプレー精神”」を強く感じました。このことは、先に述べたテクノスカレッジの理念「究極として国際社会の文化と福祉に貢献することを目的として学問をするものである」にも通じるものがあり、且つ私が強く共感できることです。
結びに、昨年、岡田パスト会長のお人柄をきっかけに東京国分寺ロータリークラブに入会させていただき、私にとって皆様との出会いは正に、井口会長の掲げられたテーマ「無碍の一道 出逢いの奇跡に感謝」という感想でございます。次年度は萩原会長エレクトの元、微力ながら60周年はじめ諸々の活動に尽力して参りたい所存です。これからも何卒よろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。
小平 憲彦 会員
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昨年7月に入会以来、温かく迎えていただき感謝しております。私は昭和44年生まれの現在55歳で、家族構成は14歳年下の妻と、中1から年少の幼稚園児まで子ども3人の5人家族です。1年半前に妻が勤務先よりタイ・バンコク勤務を打診され、お手伝いさんを雇うのが一般的という文化の中で「何とかなるかも」ということで、子ども3名も含めて赴任し、私は渋谷の自宅で単身生活をしながら日本での仕事を継続しています。リモート勤務が普及したことも相まって、昨年1年間でバンコクには計8回訪問し、この年末年始も2週間以上バンコクで家族と過ごしてきたところです。
就職までの生い立ちですが、日立のグループ会社に勤めていたサラリーマンの父と専業主婦の母、3歳下の妹の4人家族で、社会人になるまでは吉祥寺の井の頭公園のそばの実家で育ち、小中は地元の公立校に通っていました。父は私と同じ労務系の仕事をしていましたが、私が小6のときに44歳で白血病で他界しました。日立の創業者が親戚ではありますが、日立はファミリー経営ではなく、資産があるわけでもなかったということで、当時30代後半の母が一念発起して自宅で小中学生向けの学習塾を開業しました。当時の母の奮闘ぶりは相当なもので、しっかり生徒を獲得し、狭い自宅マンションはいつも多くの子どもが往来する賑やかな環境になりました。当時小6の私と小3の妹に不安や不自由を感じさせることなく、伸び伸びと育ててくれた母に改めて感謝しています。母は81歳で今でも元気にしております。
その後高校・大学は半分奨学金をもらいながら早稲田に通いました。中高はサッカー部で、夏休みに小金井公園を走らされたり、小金井のサッカー専門店でスパイクやウェアを買ったりと、小金井までは足を延ばす機会がありましたが、国分寺とはあまり縁がなく、唯一の接点は中3のときのサッカー都大会で優勝した国分寺3中のキャプテン+1名と高校でチームメートになったことくらいで、「国分寺」=サッカーが強いところ、という印象でした。
就職は平成4年で、バブルの最後でした。就職活動の際、日立は避けていたのですが、話を全く聞かないのは後悔すると思い、最後にコンタクトしたところ、面談した人事部の方が就職活動で出会った多くの方の中で最も個性的かつ印象に残った人物で、日立への入社を決めました。
入社後は日立の創業の地の茨城県・日立市の日立工場の労務部門に配属されました。火力・水力・原子力の発電機器を製造している巨大な工場で、その当時までは長らく日立の主力事業・工場で、当時は社員だけで8,000人いました。今はその後の再編で殆ど三菱重工になっているのですが、大型タービンなど美しく巨大な製品群や壮大な国内外プロジェクトを手掛ける伝統工場で10年強、充実した日々を過ごしました。
今、世の中では「ジョブ型雇用」と言われていますが、日立は元から「ジョブ型」で、入社時の職種で生涯のキャリアを築くケースが大半です。私も職種は一貫してHR領域(労務、人事、採用、教育等)で、立場としては日立工場の後は本社(御茶ノ水、丸の内)、IT事業部門(大森、品川、戸塚)をそれぞれ10年弱経験し、昨年4月に国分寺の中央研究所に異動したところです。
入社以降の日立は業績が低迷し続け、2008年には当時国内製造業最大の最終赤字7,873億円を出すに至り、その後は至る所で事業再編が実行され、その波にもまれながら今日に至ります。そんな中で、同じ会社内ではありますが、新旧の主力事業部門、本社やグループ会社、国内外のPJ等で都度新しいテーマに辿り着き、振り返ると大変バランスよく、且つ刺激的で恵まれた機会を与えられてきたことに感謝しております。
最後に昨年末のエピソードを一つ。2024年は私の曽祖父の弟で日立の創業者である小平浪平(おだいらなみへい)の生誕150年にあたり、昨年12月中旬まで日立市にある施設で記念の展示があり、展示が終わる最後の時期、ちょうど1ヵ月前に私一人でゆっくり見学に参りました。すると年表の中に「53歳、1927年(昭和2年)、東京ロータリークラブに入会」というのを見つけました。私が当クラブとの機会に巡り合っていなければ、この年表の記載に目が留まらなかったかもしれませんが、改めてロータリアンであることの重みを感じた次第です。引き続きご指導いただければと存じます。