東京国分寺ロータリークラブ
多摩中グループ 国際ロータリー第2750地区

第2545回・第2546回 例会報告(5月14日・5月21日)

2019年6月3日

第2545回(5月14日)多摩中グループインターシティミーティング

場所:フォレスト・イン昭和館


出席報告

会員数:36名免除:9名メーキャップ済:4名 欠席:4名出席率:85.19%
≪前々回の訂正≫
メーキャップ済:4名 欠席:1名 出席率:83.33%→96.67%

第2546回(5月21日)

会場:多摩信用金庫国分寺支店3階

本日の司会:神尾SAA副委員長

お客様紹介:中村会長

○鈴木 義明 様 (東京武蔵国分寺RC 国際ロータリー 第二ゾーンロータリー財団地域コーディネーター 補佐)
○別紙 壮一 様 (東京世田谷RC)
○岩田 敏雄 様 (東京小平RC)

会長の時間:中村会長

本日の卓話はドラえもんの話です。皆が目をつぶっても必ず描けるドラえもん。ここまで万人に人気のある漫画はないでしょう。学生時代は暗記パンにあこがれて、テストの日にこれが暗記パンだったら良かったのにといつも妹と話していました。でもこの暗記パンも弱点があって、たくさんは食べられないというところが人間味があり、さらに漫画の世界を広げていて面白いと思います。最近では、隣にいたランチ女子もカレーを食べながらドラえもんに夢中でした。読んでみると、心が救われるメッセージが満載です。
 つきっきりで面倒みてやるよ。
 ぼくのすることに間違いはないの。
 君は安心して僕に任せてればいいの。
こんな言葉がちりばめられています。いっしょうけんめいのんびりしよう。そんなポジティブなドラえもんの話を楽しみにしています。

◇お客様ご挨拶:鈴木 義明 様(東京武蔵国分寺RC 国際ロータリー 第二ゾーンロータリー財団地域コーディネーター 補佐)

ご紹介させて頂いた別紙様とは、19年くらいのお付き合いで、大分高校で行われました基調講演で別紙様をお招きしたところ、3,000名くらいの生徒さんにとても講評でした。どうぞお聴きください。

幹事報告:宍戸幹事

①クールビズ期間(5月1日~6月30日)
①21日(火)第4回炉辺会合 18時~ 博多串焼き「まる」
②6月7日(金)萩原会員歓迎会 18時~ イエノウエノカフェ
③6月11日(火)パスト会長会 18時~ ラムース
④6月13日(木)親子合同親睦会 18時30分~ 博多串焼き「まる」

委員会報告

出席報告:萩原委員

会員数:36名 免除:7名 メーキャップ済:1名 欠席:7名 出席率: 75.86%
≪前々回の訂正≫
メーキャップ済:4名 欠席:0名 出席率:86.66%→100%

ニコニコボックス:井澤委員

鈴木様(東京武蔵国分寺RC):何時も大変お世話になります。本日はお招き頂きありがとうございます。別紙様(東京世田谷RC):卓話「大好きドラえもん」一所懸命話します。お聴きください。中村会長・宍戸幹事:先週の多摩中グループのIMには多くの会員の皆様にご出席頂き感謝申し上げます。また本日は大雨の中、卓話講師として別紙壮一様にお越し頂きました。とても楽しみにしておりますのでよろしくお願い致します。そして別紙様をご紹介頂きました鈴木義明様にもご来訪頂き感謝申し上げます。この「つながり」を大切に今後もRC活動に精進致します。井口会員:別紙壮一様お越し頂きありがとうございました。ニコニコ致します。

卓話

◇別紙 壮一様(東京世田谷RC)

大学卒業後、普通の商事会社に就職しましたが、25歳の時に偶然小さなアニメーション会社と出会い、「この仕事がしたい!」と思いに入社いたしました。ドラえもんは、1970年小学館の学習雑誌「小学4年生」など6誌で同時に連載が始まりました。
原作者は藤子・F・不二雄、「オパケのQ太郎」「パーマン」などを描いた日本一の児童漫画家です。ドラえもんの主人公は小学4年生の男の子、野比のび太。伸び伸びと育って欲しいということでのび太という名前になりました。伸び伸びと育つのですが出来の悪い男の子で、何の取り柄も無く、強いて挙げればほんの少し優しくて思いやりがある、そんな少年です。彼の友達にパパが会社社長の骨川スネ夫君、ジャイアンというあだ名の剛田武君、そしてクラスのアイドル源静香ちゃん。のび太君は静香ちゃんが大好きで大人になったらお嫁さんに来て欲しいなと思っています。そんな子供たちのところに22世紀から猫型ロボットのドラえもんがタイムマシンでやって来て、のび太君を手助けするためにのび太君の家に住み着きます。彼は四次元ポケットから不思議な秘密道具を取出してジャイアンやスネ夫の意地悪に対抗している。この時に巻き起こるドタバタ・ホーム・ギャグマンガとしてドラえもんはスタートしました。連載開始4年目の1973年4月からあるアニメ会社がTVアニメにしました。1970年代はTV全盛時代にも関わらず、視聴率はたった7%。6ケ月で打ち切りになりました。そこで私にチャンスが回ってきました。連載は順調に進み、単行本を第3巻まで出すと、あっという間に500万部も売れました。私は、この時にドラえもんを知りました。下請けではなく自分で企画して自分の好きなアニメをつくりたいと思い、仲間3人で会社を組織変更して「シンエイ動画株式会社」を作りました。
藤子先生のところに行き、もう一回TVアニメにします、今度は絶対ヒットさせます、とお預かりしました。企画書を作ってテレビ局に持って行きましたが、資本金500万円の会社では心配なこと、3年前に日本テレビで放映した時に視聴率がとれなかった作品というのが理由で相手にしてもらえません。面白さをわかってもらう為にパイロットフィルムを作ろうにもお金が無い。そこでお願いに行きました。背景、撮影、録音など、無償で協力してくれる会社があり、「勉強部屋のつりぼり」という作品ができました。このフイルムを持って最初に行ったのがテレビ朝日でした。当時、テレビ朝日の編成部長はとてもアイディアのある方で、このフイルムを観てもらうと即決でした。1979年の4月からTV放映が始まるのですが、普通、金曜の7時から30分番組で放映するところを編成部長は月曜から土曜まで6日間、夕方6時50分から10分間、毎日放映しました。4月こそ視聴率10%そこそこでしたが、6月にはとうとう30%となりました。その後の7時台のテレビ朝日の番組が月曜から土曜まで全部10%以上視聴率が上がりました。編成部長の狙いはここにあったのです。そしてドラえもんはテレビ朝日になくてはならないキャラクターとなり、ドラえもんは今年で41年目、製作本数は2,950本を超えました。そして長編映画にもなりました。TV番組週6本を作るのに精一杯、その上クオリティの高い長編映画。スタッフは睡眠時間がなくなりましたが、楽しかったです。1980年春休み第1作目「のび太の恐竜」に始まり、毎年300万人以上が観てくださり、今年の春休み作品「のび太の月面探査記」で第39作目となりました。これも大ヒットし、延べ人数で1億1千万人を超えました。単行本は、2億部を超えました。そしてドラえもんグッズの昨年度売上は400億円だそうです。
ドラえもんはロータリアンに負けず、ほんの少しですが社会貢献をしております。1996年テレビ朝日・小学館が「ドラえもん募金」を提唱し、ドラえもんに電話をかけると1回について100円の募金ができます。2007年、新潟中越沖地震では2億1千万円の募金が集まりました。210万回、皆さんが電話してくれました。そして2011年3月11日、東日本大震災。このときは、電話回線を空ける為に、14日に皆さんにTVで「今回は電話ではダメです。銀行振込でお願いします。金額は幾らでも結構です」とお願いしました。4日間で6億円のお金が振り込まれ、4月30日までの1ケ月半で18億7千万円の募金が集まりました。「ドラえもん募金」だけで18億7千万円。人間って何て素晴らしいのでしょう。世界中に素晴らし人がたくさんいらっしゃる。福島や熊本の人達が一刻も早く復興すること、みんなで応援しましょう。
それにしても、なぜ、ドラえもんはこんなに人気があるのでしょうか。1981年に藤子先生の書き下ろし「のび太の結婚前夜」というお話があります。のび太君は静香ちゃんと結婚できるか心配でタイムマシンで二人の結婚前日の未来をこっそり見に行きます。そこで未来の静香ちゃんが、静香ちゃんのパパに結婚することが不安だと打ち明けます。静香ちゃんのパパは、静香ちゃんに、こう伝えます。『のび太くんを選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことだからね。』
のび太君は出来が悪い。でも、大人になったとき、静香ちゃんのパパが認める青年になっている。少年ののび太君は勉強ができない。できたほうが良いことは知っている。怠け者ですが、努力の尊さは知っている。臆病者ですが、いつも勇気を持ちたいと思っている。自分がだめなことをきちんと自覚していて、今日より明日、明日より明後日に半歩でも進んでいたいと思っている。だから、ドラえもんが手助けしてくれるのです。ドラえもんはのび太の成長の物語です。そしてドラえもんとの友情の物語です。
そんなドラえもんを、私は大好きです。