東京国分寺ロータリークラブ
多摩中グループ 国際ロータリー第2750地区

第2647回 例会報告(1月31日)

2023年2月13日

第2647回(1月31日)

会場:多摩信用金庫国分寺支店3階

司会:谷田SAA委員

会長の時間:宍戸会長


 皆さん、こんにちは。
 先日卓話にお越しいただいた栁様より、御礼と「カードを数名の会員さんから頂戴しました」と、ご連絡をいただきました。カードを作成いただきました方々の行動力に感謝いたします。
 今、世の中ではコロナやインフルエンザの流行、また既に花粉も飛び始めていると報道がありますが、先週の火曜日に、リアルなコミュニケーションを大切にする場として、3回目の炉辺会合を開催いたしました。鳥居委員長にはRCとして、変えてはいけないものの充実、改善に注力していただき、楽しい中にも学びがある素晴らしい時間を設えていただきました。まさに、ロータリーを知って、好きになって、共に楽しむ事を共有する事ができました。ただ、その日は10年に一度の大寒波がやってきた夜に開催でしたが・・・。次回は2月7日(4回目)となります。関係者の皆様どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、5月8日から新型コロナの感染症法上の位置付けを、季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げ、ウィズコロナからアフターコロナへ段階的に緩和していくと政府の発表がありました。クラブとしても、例会のあり方や、やり方を徐々にコロナ前に戻していきたいと考えています。ただ、その日を境に全部が変わるわけではなく、少しずつ日常を取り戻しロータリー活動をしっかりと回していける、そんな状況を作っていきたいと思います。やり方は変わるかもしれませんが、やる事は変えない!!残り半年、当たり前のことを当たり前にできるよう、基本に忠実に、時には変化を楽しみつつ、心からのリスペクトを込めてEnjoy Rotaryしましょう。
 本日の例会は五月女会員と鈴木会員からイニシエーションスピーチをしていただきます。とても楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 また、新たに我々の仲間に加わる、多摩信用金庫国分寺支店の中村支店長です。公示期間も終わり本日入会式となります。末永くお付き合いいただけると幸いです。皆様、本日もどうぞよろしくお願いいたします。

入会式

司会:岡田会員増強委員長

新会員挨拶:中村琢次会員


 6年ぶりに国分寺に戻ってまいりました。国分寺支店長になり、RCに入れるとは思っていなかったので、こんなに光栄なことはございません。これから色々と教えていただければと思います。

表彰式

マルチプルポールハリスフェロー
・2回目:濱仲会員、関口会員、髙橋会員、飯沼会員、中村早苗会員
・1回目:照木会員


ポールハリスフェロー:尾作会員、田中一也会員

幹事報告:池田幹事


 本日は、五月女会員、鈴木会員によるイニシエーションスピーチです。楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。2月7日は公的休会、2月14日はロータリー情報・規定審議・クラブ細則委員会によるクラブ協議会となっております。
 また、すでにご案内済みですが、2月21日はグランドプリンスホテル新高輪にて地区大会が開催されます。登録開始は12時、開会点鐘は13時です。クラブ紹介は16時15分頃を予定しておりますので、皆様ご出席の方よろしくお願いいたします。
 最後に3月8日、国際ソロプチミスト国分寺チャリティーコンサートが泉ホールにて開催されます。チケットが2枚ありますので、ご希望の方は事務局までお申し出ください。

委員会報告

ロータリー財団委員会:照木委員長


 1月26日(木)、御茶ノ水ソラシティで2022-23年度第2回米山記念奨学セミナーが開催されました。60名が参加し、9テーブルで寄付の集め方についてディスカッションしました。
 公益財団法人米山記念奨学会は、故米山梅吉氏の生前の功績を称え1952年に始まった事業です。特徴は日本で学ぶ大学生、大学院生を中心とした外国人留学生を支援することで、貧困救済型から知的貢献型へ変化しました。母国と日本との関係を深め国際交流や親善を推進、世界平和を推進し将来の人材育成を行います。
 2022年度奨学生は新規619名、継続279名(中国42%、ベトナム16%、韓国11%)。今までの累計は22,875名(129か国、中国35%、韓国21%、台湾16%)で、国分寺RCは30名お世話しました。国籍のバランスは悪いのですが、関係が悪い国だからこそ親善を深めることが大切です。2023年度は98名の応募に対し34名採用となりました(2022年12月に決定)。
①昨年2021-22年度の寄付(3分の2は特別寄付)
・全国総額13億5,000万円、普通寄付4億1,000万(30%)、特別寄付9億3,000万(62%)
・2750地区総額8,700万円(全国34地区中3位)、個人平均20,223円、特別寄付は41%
②今年2022-23年度の寄付(12月31日までの半年)
・2750地区4,193名、総額5,300万円、普通寄付1,600万円、特別寄付3,700万円(70%)
・個人平均12,500円
・国分寺38名、普通寄付19万円、特別寄付0円
 10月は米山月間、『寄付はお金がある人がすることでなく、心のある人がする』です。

出席報告:田中将太郎委員

会員数:37名 免除:2名 メーキャップ済:0名 欠席:4名 出席率:88.6%

ニコニコボックス:田中将太郎委員


宍戸会長・池田幹事:中村琢次会員ご入会おめでとうございます。今後はロータリーの仲間として一緒に楽しんでいきましょう!また、本日の五月女会員、鈴木会員のイニシエーションスピーチ楽しみにしておりますのでよろしくお願いいたします。照木会員:佐伯会員、今まで大変お世話になりありがとうございました。更なるご活躍を祈念いたします。中村琢次様の入会、おめでとうございます。ご指導の程、よろしくお願いいたします。ニコニコです。鳥居会員:本日の五月女会員、鈴木会員のイニシエーションスピーチ楽しみにしています。また、2021-22年度に幹事を引き受けてくださった萩原会員からご招待いただいたランチにて、家族で素晴らしいひとときを楽しめたことにニコニコします。藤岡会員:ニコニコ大賞、ありがとうございます。これからも良いことがあればニコニコします。森会員:最近ゴルフの調子が好いのでニコニコです。(3度優勝しました)

イニシエーションスピーチ

五月女会員


 野村證券の五月女典子です。今回このイニシエーションスピーチの準備をすることで、自分自身を振り返る良いきっかけにもなりました。ありがとうございます。
 まず簡単に経歴からですが、私は埼玉県の北部にある羽生市の出身です。両親は地元に勤務する会社員と公務員でしたので、働いている姿をいつも身近に見ていました。幼い頃から私にとって働くこと、特に母は仕事も家庭も両立していましたので、女性も働くことに違和感がなく、私も尊敬をしていました。
 私は幼い頃からずっと小学校の教員になることが夢でした。今になって思うのですが田舎で育ったこともあり、大人の職業というか世の中の広さを殆ど知らず、いつも一番身近にいる小学校の先生の仕事がとても素敵で憧れを持っていたのかもしれません。
 また、そこまで運動が得意ではないのですが、近所の友人に誘われたからという軽い気持ちで、小学校からバスケットを始めました。元々、私自身も家族もどちらかと言ったら人前に出ることを好まない、競争も好まない、組織を仕切ったりすることも得意ではない性格です。私自身やや鈍臭いところがあり試合で上手く立ち回れないこともありましたが、自分一人ではできないことでもチームの皆と力を合わせることは楽しく、気付くとキャプテンを務めるようになりました。なんで私が、と不安な気持ちが先行して、単純に皆でバスケットを楽しむというよりも、同世代のメンバーをまとめないといけない、監督とコミュニケーションを取らないといけない、試合で勝たないといけない、と小学生ながらも周囲に気を遣って頭を悩ませながら過ごしていました。中学でもバスケットは続け、非常に厳しい監督の下で日々練習し、殆ど部活中心の生活になっていました。気付くと部長に指名されており、なんで私が部長なのかと自信が持てずに取り組んでいました。人の目や意見を気にし過ぎてしまうので、本当に荷が重いな、向いていないな、とずっと葛藤していました。
 しかし、このキャプテンや部長の経験から何か得るものがあったのかもしれません。自分のことよりもチームのこと。周囲の状況を見て伝え方を工夫すること。皆がレギュラーで目立って楽しいわけではなく、半分以上のメンバーは試合にも出られず悔しくてつらい思いをしていること。そういう人達の心の痛みにも気付いてあげようと、自分なりに工夫し試行錯誤して周囲をまとめていました。一見、部長やキャプテンと言うと成功体験ばかりあるように思われてしまうかもしれませんが、私にとっては沢山失敗し悩んだ数年間でした。この経験はほんの少しかもしれませんが今の自分の仕事に活かされているのかなと思います。
 その後、高校に入学し今度は将来の進路に大きく迷いが生じてしまいました。幼い頃から小学校の教員になる、と言い続けていましたが、高校で色々な価値観や興味を持つ同級生達を見て、将来の夢に迷いが生じてしまいました。言い訳になってしまいますが、そんな状態で目標や将来の夢も曖昧になってしまい、気が付くと受験した大学全てに不合格となってしまいました。
 その頃両親と話した際に「就職先と仕事はやはり関東が豊富だと思う。だけど大学4年間は二度とない期間だから是非多くの経験をして楽しんで。」と後押しされ、先入観なく色々な大学を調べました。浪人は遠回りの1年に思われたかもしれませんが、私にとって視野を広げることができとても貴重な1年になったと思っています。最終的に第一希望の京都の私立大学に進学しました。結果論かもしれませんがこの選択は私にとって非常に良かったと自信を持って言えます。
 京都は特に知り合いもいない土地でしたが、とても生活しやすく充実した4年間を過ごすことができました。京都はふと足を運ぶことができる第2の故郷だと思っています。大学4年間は今思うと自分次第でどんなことでもチャレンジでき、多くの友人達に刺激を受ける日々でした。
 あっという間に就職活動が始まり、ここでも自分を見つめ直す貴重な時期となりました。何十社と落ちましたが、最終的に今働いている野村證券の一般職として内定をいただきました。なぜこの会社に内定を貰えたのかなと振り返ると、野村證券は現在も全国各地の大学で金融経済の授業を行っており、当時私もその講義を2年間受講していました。授業では生の経済情勢の話を聞くことができ、社員がオリジナルで資料を用いて学生に話してくれるため、わくわくしながら出席していた記憶があります。こんな企業の一員として働けたら楽しいだろうなと心の片隅に思っていたので、面接の時には無意識に憧れや興味を伝えられたことが良かったのかもしれません。
そんな流れで2005年に野村證券に入社しました。一般職として大宮の支店に配属されました。約10年間おりましたが、当時リーマンショックなどの数多くの相場変動もあり会社全体としても業績が悪化したので、一般職が廃止されて全社員が総合職に転換となりました。
 その後、大手町の本社にある部署に異動となりました。その部署は今までの業務とは大きく異なり、学生の採用活動や全国の若手社員の集合研修を担当する部署でした。伸び悩む若手社員に対し、業務の醍醐味を伝える研修を開催する仕事は私には合っていたようです。その若手達がその後良い成果を出し、中堅社員となって中核を担っていることを知るととても嬉しくなります。社員数が多い会社ですが、皆で社員を育成する風土はとても良いなと思っています。
 次に群馬の高崎支店に異動となりました。私にとって勉強になることが多く、思い出に残る3年半でした。2020年の4月には国分寺支店に配属されました。今年度から同じ国分寺支店で支店長を務めさせていただいております。
 私は本当に上司、同期、部下に恵まれていると思っています。入社18年目となりましたが何度も会社を辞めたいと思ったことは事実です。でも辞めずに続けていたのはその時その時の上司・同期・部下が助けてくれたからだと思います。キャリアや目標に迷った時、「五月女にはこんなポジションが合っていると思う。」とか「昔からのこの会社のイメージを思い切って変えて欲しい。」などと多くの方がアドバイスをくれることはとても恵まれていると感じます。
 野村證券では当たり前のように支店長のことを「〇〇支店長」と呼んでいますが、私も部下の皆と同じ目線で仕事をしたいという考えもあって、支店の皆には、私のことを支店長と呼ばなくていいよ、と最初に伝えました。会社の風土として支店長は支店長室に籠るのが普通のようですが、どうしても支店長室の居心地が悪くて、部下と同じフロアに席を置き一緒に仕事をしています。昔自分が悩んだ時に多くの上司に助けていただいたように、私が部下を勇気付けられるようにしていきたいです。会社ではありますが、私にとって一つのクラス、チームのような雰囲気です。
 私自身がまだ新任の支店長ということもあり、勉強も含めて出張を伴う研修や会議が非常に多く、数日間に亘って支店を不在になることも増えました。ロータリー活動もしっかり参加しようと決めていましたが、やむを得ず欠席せざるを得ない状況が増えてしまい心苦しく思っています。地域貢献や地域に根差した取り組みは今後もしっかりやっていきたいと思いますので、これからも会員の皆様から多くのことを学びたいと思っています。また、野村證券全体として、将来の金融教育のために地元の学校や企業様での啓蒙活動も積極的に進めています。是非お役に立てる機会がござましたら、国分寺支店はもちろんのこと本社部署も積極的に動いていますのでお声がけいただけると幸いです。

鈴木会員


 鈴木望です。職業は司法書士・行政書士です。私自身は国分寺で生まれ育ったわけではなく、国分寺で事務所を開設しているわけでもありません。そこで、私自身が国分寺と関わることになった経緯や、今後国分寺とどのように関わっていきたいかを踏まえながら、これまでの経歴についてお話しいたします。
 昭和56年、千葉県我孫子市の病院で生まれ、茨城県北相馬郡利根町という町で2歳半まで暮らし、それ以降は日野市で育ちました。日野は生まれた地域でも身近な親戚がいるわけでもないためか、「地元」という意識はあまりないまま成長しました。学生時代は、趣味のドラムや教育ボランティアなど、充実した生活を送っていました。
 大学卒業後に就いた職は高校の公民科教員であり、忙しくもやりがいのある職業生活でした。しかし、公民科教員向けの法教育の研修に参加したことをきっかに法律に興味を持ち、せっかくの一度の人生なのだからと思い立って現在の司法書士・行政書士の道に転身することにしました。埼玉県の司法書士事務所で修業をし、司法書士と行政書士の資格者登録を機に、新宿にある現在の事務所での勤務が始まりました。国分寺とのかかわりの第一歩になったのはその後のことでした。
 私の母は国分寺出身のため、母方の多くの親戚が国分寺におりますので、複数名の親戚が国分寺青年会議所のOBだったことは知っていました。その一人から、国分寺青年会議所は、国分寺の第一線で活躍しているメンバーを中心にした、地域のために活動する団体だとの話を伺いました。それまで地元意識を持てたことがなく、生活と職業上の地元があることに憧れていたこともあったため、ご紹介いただき、2014年に入会しました。これが国分寺との関わりの第一歩になりました。国分寺で大活躍する偉大な方々と出会う中で、国分寺を自分の「地元」にしたいと本気で思えるまで、そう長い時間は要しませんでした。
 しかし、まさにその真っただ中の2014年秋、勤務している事務所の代表が交通事故で突然死してしまいました。混乱した事務所を差し置いて国分寺に移っていくわけにもいかず、新宿の事務所を正式に引き継ぐことになり、生活拠点を国分寺にシフトしていくことが一旦保留のまま何年も過ぎていきました。
 その後、国分寺に再び本格的にシフトしていくきっかけは大きく二つあったと思います。一つは、子の存在です。これから生まれてくる自分の子どもには、かけがえのない「地元」と思える故郷をつくってあげたいと思いました。それが国分寺でした。信頼できる多くの仲間や先輩ができたこの国分寺だからこそ、子どもにとって誇れる「地元」になるはずだと信じております。私自身も子どもが安心して生活できる「地元」になるよう地域を守っていかなければなりません。当初の私自身にとっての「地元」づくりから、子どものための「地元」づくりへの意識も加わったものと思います。
 もう一つは、東京国分寺RCへの入会です。これで国分寺と運命をともにすべき身になったと思います。
 今後は、自分の子はもちろんですが、国分寺の子どもたちが国分寺で育ってよかったと思えるように、そして国分寺にかかわる人々がこの地域に関われてよかったと思えるように、微力な若輩者ではございますが、国分寺に骨を埋める覚悟で皆様とともに地域奉仕活動を行っていきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。