東京国分寺ロータリークラブ
多摩中グループ 国際ロータリー第2750地区

第2753回 例会報告(11月18日)

2025年11月25日

第2753回(11月18日)

会場:多摩信用金庫国分寺支店3階

司会:伊東SAA委員長

会長の時間:萩原会長

 先日、国分寺青年会議所のOBJC会設立50周年の式典が開催されました。池田会員が実行委員長として、中村早苗会員、荒井幹事が実行委員としてご活躍されていました。
 会場を見渡すと100名を超えるOBが参加していて、国分寺ロータリーメンバーも見受けられました。勿論、武蔵国分寺ロータリーのメンバーもいて、ライオンズクラブのメンバーもいましたが、半数以上が上記の会の非会員でした。既存の会同士でメンバーを取り合うことは避けたいですが、これだけパワーのある方々が埋もれていると思うと、勿体ないと感じました。
 今年のガバナーは、衛星クラブの設立を通じて会員拡充を推奨しています。衛星クラブとは既存のロータリークラブがスポンサーとなり、より絞られた活動内容や、条件にて運営することにより、安価に低負担でロータリー活動に参加できる制度です。国分寺RCがスポンサーになって衛星クラブを設立すれば、その衛星クラブの会員は国分寺RCの正式メンバーとみなされるのも特徴の一つです。
 この衛星クラブの特徴は2つあります。1つ目は、スポンサークラブの会員退会防止策です。退会希望の会員には、活動の幅も狭く比較的に活動のしやすい衛星クラブにて活動を続けてもらい、様子をみてもらうことができます。2つ目は、ロータリークラブに入るはちょっと早い、忙しい等と入会に二の足を踏んでいる方への入り口です。入会へのハードルを下げて、入会しやすくする効果があります。
 ただ、個人的には懸念事項もあり、既存のメンバーが衛星クラブに流れてしまう、既存のクラブに新会員が入らなくなるなどといったものです。
  しかし、このような制度がある以上、クラブ内で情報を共有しながら検討する価値はあると思います。既存のクラブ同士で新会員を取り合うことは望んでいませんので、制度を確立させることで、対象者の取り合いになる事も防止できることと思います。ぜひご検討ください。

幹事報告:荒井幹事

【例会予定】
・22日(土) 9:00 第2754回 第8回東京国分寺RC カップ(少年・少女サッカー大会) 総合学院テクノスカレッジ東京府中校
・25日(火) 12:30 第2755回 外部卓話 多摩信用金庫国分寺支店4F
・12月2日(火) 第2756回 理事会・年次総会 多摩信用金庫国分寺支店4F

【主な行事日程】
・18日(火) 18:00 第3回炉辺会合 居酒屋ごなんぼ
・12月2日(火) 18:00 多摩中グループ歴代会 ホテルエミシア東京立川

【委員会開催予定】
・12月2日(火) 例会終了後 創立60周年実行委員会 第6回式典・祝宴委員会 多摩信用金庫国分寺支店3F

【その他】
・今週は土曜日も例会となります。第8回東京国分寺RCカップが開催されますので、お間違えのないようお気を付けください。送迎希望の会員は、午前組がAM8:00、午後組がAM11:35に西国分寺駅南口ロータリー集合となっております。

委員会報告

奉仕プロジェクト委員会:小林委員長

 東京国分寺RCカップが22日に開催されます。事務局の横山さんから、出欠席表とタイムスケジュールがメールにて配布されています。それぞれの担当者名が記載されているので、今一度ご確認ください。
 西国分寺駅からの送迎を希望の方は8時集合です。現地に直接来場される方は、8時半に集合してください。午後から参加される方も、11時50分の記念撮影に間に合うようにお願いいたします。
 現在の予報では天気とのことですが、寒い可能性もあるので防寒対策をしっかりして参加してください。来てくれた子どもたちに楽しんでいただきたいと思いますので、ご協力をお願いします。

ロータリー財団委員会:照木委員長

 11月3日(木)にロータリーの友地区代表委員の合同会議がZoomにより開催された。全国34名、役員、事務局13名、計47名参加。

・リモートにより開催した理由
①経費削減
②委員の時間の有効活用

・10名ずつの分科会に分かれ一人ひとり発言した。
①代表委員としてどのような活動を行ったか(他クラブでの卓話など)。※事務局作成の紹介映像30分は長すぎる、卓話が30分のため、もう少しコンパクトに纏めた方がよい。
②ロータリーの友はガバナーと会員を繋ぐ大切な懸け橋。皆様に読んでいただくためにはどうしたら良いか。
案1.代表委員一人だけでは難しいので、今後ガバナー補佐にも一役買ってもらう。
案2.各クラブは広報委員会があるため、興味がある内容を広報委員に紹介してもらう。

出席報告:榎元委員

会員数:44名 免除:4名 メーキャップ済:4名 欠席:7名 出席率:82.50%

ニコニコボックス:鈴木委員

萩原会長・荒井幹事:本日は長きに亘り国分寺の市政を大きく前進させてくれました、前市長である井澤会員の会員卓話です。長期の市政運営お疲れ様でしたの気持ちを込めて、ニコニコします。古川会員:週末に群馬に旅行に行った際にマイナカード他一式を入れたパスケースを失くし、真っ青になりました。後刻見つかりホッとしました。日本の治安の良さと、見つけてくれたJR社員に感謝してニコニコします。

卓話

司会:奈須プログラム委員長

「今だから言える 市長時代の裏話」 井澤会員

 今回卓話の機会をいただき大変ありがとうございました。「現職の時はしゃべれなかったでしょうが、市長を辞めたのだから、いろいろあった裏話をしてもらえないか」と卓話の依頼のお話をいただきました。
 2013年7月から2025年7月までの12年間、本当にいろいろなことがありました。気持ちとしては、”この際すべてお話ししたい“と言う気持ちがありました。ただし「公務員という公職にある者は、その職にある間及びその職を退いた後も職務上知り得た秘密を漏らしてはいけない。」と地方公務員法第34条に秘密を守る義務がうたわれています。それを思い出し自制をしながら、自慢話や愚痴こぼしにならない様にお話ししたいと思います。
 私が市長に就任した当初の国分寺市の財政状況は非常に逼迫し、東日本大震災を経て更に厳しい状況になっていました。私は民間企業に25年間ほど勤務し、その後「生まれ育った国分寺市に貢献したい」との想いから、2005年から8年間市議会議員の職にありました。
 その当時懸案事項は山積しておりましたが、中でも国分寺市の長年懸案であった“JR国分寺駅北口再開発事業”はすべての事業進捗状況のネックになっていました。
 また財政状況の逼迫の原因の一つとして、市施工事業として土地の買収事業に多額の資金が投入されたまま、長期に回収ができなかったことにありました。協力していただいている権利者の方々には、事業が停滞していたがために多大な迷惑が発生していたと思います。市としても早期に完成させる必要があり、そのためにまずは法的対応も含め庁内体制を整備しました。
 そして、いろいろな経過もありましたが、2018年にツインタワーが、2020年には駅前広場も完成いたしました。その間多くの方のご協力があって、約半世紀にわたる当市にとっての大事業が一定の目途がたちました。
まだ広場からの22メートル道路の工事等が継続しており、さらなる早期の進捗が待たれるところです。
 並行して、これも懸案であった可燃ごみ焼却施設の共同処理も、紆余曲折はありましたが日野市のご協力により本格稼働に漕ぎ着けることができました。
 そしていよいよ新庁舎の建設は、2019年の施政方針と住民説明・12月議会での特別議決を経て着工に至りました。その直前、人類が震撼する想定外未曾有のコロナウイルス感染症が発生しました。今まで経験したことがない感染症対策は、考え得るあらゆる手段を駆使しながら、医師会をはじめとする協力をいただきながら、2024年5月の5類移行を迎えることになりました。
 一方、この間も新庁舎建設工事は着々と進行し、2024年11月には落成式を迎えることができました。併せて市制施行60周年記念式典と国分寺まつりを二日間開催し、多くの市民の方と一緒にお祝いいたしました。振り返れば、市長就任直後の2014年11月に市制施行50周年記念式典を開催したことが思い出されます。
 こうして2025年1月から泉町2丁目の新庁舎で業務が開始され、市民サービスの向上と安全安心の防災拠点としてスタートすることができました。それまでの約15年間にわたり分散庁舎・プレハブ仮庁舎で市民の方にご不便をかけ、職員には近年の酷暑の中での劣悪な執務環境に耐えていただきました。
 12年間の市長在任期間にはその他様々なことがありましたが、支えていただいた多くの皆様のおかげで公約もほぼ達成することができ感謝しております。
 次の世代へバトンタッチし、さらなる国分寺市の発展を心より願っております。

質疑応答


・鈴木望会員
 多くの場面でご決断をされてきたと思いますが、その中でも特に印象に残っている決断はどのようなものでしたか。また、その時、どなたか信頼できる方にご相談されましたか?

▶回答
 決断に関しては、実は毎日が「決断の連続」でした。大小の区別なく、職員から日々相談が上がってきますが、私は、それをその場ですぐに判断する姿勢を大切にしていました。どのような内容であっても「ちょっと預からせてくれ」と言って、判断を先延ばしにすることは一切しませんでした。すべてその場で、右か左かを決めていたんです。これはスピード感が大事だと考えていたからです。
 もちろん、「これで失敗したら辞めなければいけない」という覚悟は常に持っていました。それぐらい重大な決断が多くありました。
 相談相手についてですが、ほとんど誰にも相談しませんでした。自分で深く考えることはありましたが、周囲に「これで進めるけど、いいよね」という確認を取ることはあっても、反対されることはなかったので、「ちょっと強権的だったかもしれない」とは思っています。基本的に自分で決断し、後で皆さんの同意を求める形をとっていましたので、誰かに相談するということは、あまり記憶にありません。